› コメスタ★物語 › 2008年04月2008年04月26日
第三話 コメスタ紀元前 ③
「コメディスタジアム」を引き継いで欲しい。
いや、本当のところはこのままフェードアウトさせるつもりだったんですが・・・。
どういう経緯か忘れましたが、難波で井上氏と一緒になる機会があり、食事をした時の事だ。
え・・・どうしようか?
相方、ふたつ返事で引き受ける。
そんな簡単に・・・。
条件があった。
① コメディスタジアムに出たいと言って来た方には、なるべく出演させてあげて欲しい。
② 難波・ワッハ上方での公演は止めて欲しい。
この条件は未だに守っている。(一時、阿倍野を離れなければならない事情はありましたが・・・。)
引き受けたもの・・・暫くして、相方と連絡が取れなくなった。
音信不通。
・・・。
あれ?おい!
この間ンおふたつ返事はどこ行った?!
結局、私がひとりで回していく始まりとなった。
メールが今ほど普及していないあの頃、主催者が変わりそれでも「コメディスタジアム」に出演してくれるか葉書を書いて打診したり、出演確認を電話で行ったり・・・
仕事をしながら、舞台の段取りをしつつ、ピンでもネタをする。
イベント中、時間的に無理が生じた。
バタバタして集中できない。
完全に裏方へ回って芸人を目指す方々をサポートのみしていくか、それとも舞台も立っていようか。
漫才のネタを用意していても相方が消息不能、ピンで立つほかない。
そんな状況でウケる訳がない。
空回り。
そんなこんなの状態を暫く続けることになる。
主催者から私に「コメディスタジアム」をタッチし、私自身が記録を付けるようになるまでを「コメスタ紀元前」と、勝手によんでいて、記録が確実に行ってからを「コメスタ紀元後」とよぶようにしている。
現在の2008年7月19日公演の90回目はキッチリと把握、記録してからの回数なので、実際は90回以上行っている計算となる。
ただ、この時思っていたのが、長くても30までやな・・・。
30歳になったら「コメディスタジアム」を打ち切ろう。
当時、23、4だったと思う。
~ つづく
いや、本当のところはこのままフェードアウトさせるつもりだったんですが・・・。
どういう経緯か忘れましたが、難波で井上氏と一緒になる機会があり、食事をした時の事だ。
え・・・どうしようか?
相方、ふたつ返事で引き受ける。
そんな簡単に・・・。
条件があった。
① コメディスタジアムに出たいと言って来た方には、なるべく出演させてあげて欲しい。
② 難波・ワッハ上方での公演は止めて欲しい。
この条件は未だに守っている。(一時、阿倍野を離れなければならない事情はありましたが・・・。)
引き受けたもの・・・暫くして、相方と連絡が取れなくなった。
音信不通。
・・・。
あれ?おい!
この間ンおふたつ返事はどこ行った?!
結局、私がひとりで回していく始まりとなった。
メールが今ほど普及していないあの頃、主催者が変わりそれでも「コメディスタジアム」に出演してくれるか葉書を書いて打診したり、出演確認を電話で行ったり・・・
仕事をしながら、舞台の段取りをしつつ、ピンでもネタをする。
イベント中、時間的に無理が生じた。
バタバタして集中できない。
完全に裏方へ回って芸人を目指す方々をサポートのみしていくか、それとも舞台も立っていようか。
漫才のネタを用意していても相方が消息不能、ピンで立つほかない。
そんな状況でウケる訳がない。
空回り。
そんなこんなの状態を暫く続けることになる。
主催者から私に「コメディスタジアム」をタッチし、私自身が記録を付けるようになるまでを「コメスタ紀元前」と、勝手によんでいて、記録が確実に行ってからを「コメスタ紀元後」とよぶようにしている。
現在の2008年7月19日公演の90回目はキッチリと把握、記録してからの回数なので、実際は90回以上行っている計算となる。
ただ、この時思っていたのが、長くても30までやな・・・。
30歳になったら「コメディスタジアム」を打ち切ろう。
当時、23、4だったと思う。
~ つづく
2008年04月19日
第二話 コメスタ紀元前 ②
お笑いサークルから紹介して貰った「コメディスタジアム」。
そのサークル自体も2回ほどしか顔を出していない訳で。

当時は肥後橋にある「大阪府立文化情報センター」で3ケ月に1回くらいのペースで開催されており、お客様も定着していなかったのも事実で、入場料が200円で、現在よりも値段は高く設定されていたのだ。
5~8組の漫才やコントがあり、大喜利をするといったシンプルな内容。
主催者は「井上太郎」という人物。
当時の「コメディスタジアム」に「ヘッドライト」や「おぎの信号」、「シコ名バリカン山」などが笑いを提供していた。
芸人を目指してる方々に混ざって舞台に上がる事に対し、そうでないどっちかというと趣味の我々が漫才をする事に多少の後ろめたさを感じながらも、やはり、もう一度、人前で漫才が出来るという魅力には勝てなかった。
舞台に上がる以上は精いっぱいやろう。
今回だけ許されただけで、次、舞台で漫才で切る保証はないのだから。

調子に乗って20分以上もネタをしていたらしい。
まぁ・・・「心斎橋筋2丁目劇場」などで合格経験数度と・・・あったりで、ネタはそこそこやれた(と、思う。)のだが、紹介して頂いた、そのお笑いサークルのメンバーの出来は酷かった。(と、言わざるを得ない。)
素人たちだから仕方がないのだが、このお笑いサークルのメンバーには二度と「コメディスタジアム」には参加して欲しくない。と、言われた。
我々も実際ネタ時間20分って、どう考えても、コメディスタジアムのメンバーから外されても文句は言えない。
今では20分って考えられない話である。
矛盾ながらも主宰者として激怒しざるを得ない。
我々に直接告げるというのは、ま、そういう訳で、名ばかりのサークルを退団するキッカケにもなる訳で。(そのサークル自体2回ほどしか顔出してないしね。)
それから1年程、仕事を終えてから新ネタを創り「コメディスタジアム」に3ケ月1回のペースで立つ事になる訳だが、その間、「大阪府立文化情報センター」が無くなり「阿倍野市民学習センター」へ移ったりした。
そんなある日、主催者の井上氏が就職のために大阪から離れるという話を噂で聞いた。
ここから急激に事態は変わって行くのである。
~ つづく
そのサークル自体も2回ほどしか顔を出していない訳で。

当時は肥後橋にある「大阪府立文化情報センター」で3ケ月に1回くらいのペースで開催されており、お客様も定着していなかったのも事実で、入場料が200円で、現在よりも値段は高く設定されていたのだ。
5~8組の漫才やコントがあり、大喜利をするといったシンプルな内容。
主催者は「井上太郎」という人物。
当時の「コメディスタジアム」に「ヘッドライト」や「おぎの信号」、「シコ名バリカン山」などが笑いを提供していた。
芸人を目指してる方々に混ざって舞台に上がる事に対し、そうでないどっちかというと趣味の我々が漫才をする事に多少の後ろめたさを感じながらも、やはり、もう一度、人前で漫才が出来るという魅力には勝てなかった。
舞台に上がる以上は精いっぱいやろう。
今回だけ許されただけで、次、舞台で漫才で切る保証はないのだから。

調子に乗って20分以上もネタをしていたらしい。
まぁ・・・「心斎橋筋2丁目劇場」などで合格経験数度と・・・あったりで、ネタはそこそこやれた(と、思う。)のだが、紹介して頂いた、そのお笑いサークルのメンバーの出来は酷かった。(と、言わざるを得ない。)
素人たちだから仕方がないのだが、このお笑いサークルのメンバーには二度と「コメディスタジアム」には参加して欲しくない。と、言われた。
我々も実際ネタ時間20分って、どう考えても、コメディスタジアムのメンバーから外されても文句は言えない。
今では20分って考えられない話である。
矛盾ながらも主宰者として激怒しざるを得ない。
我々に直接告げるというのは、ま、そういう訳で、名ばかりのサークルを退団するキッカケにもなる訳で。(そのサークル自体2回ほどしか顔出してないしね。)
それから1年程、仕事を終えてから新ネタを創り「コメディスタジアム」に3ケ月1回のペースで立つ事になる訳だが、その間、「大阪府立文化情報センター」が無くなり「阿倍野市民学習センター」へ移ったりした。
そんなある日、主催者の井上氏が就職のために大阪から離れるという話を噂で聞いた。
ここから急激に事態は変わって行くのである。
~ つづく
2008年04月12日
第一話 コメスタ紀元前 ①
常にめくるめくターニングポイントの上にある、「コメディスタジアム」。
ここから得たものが多く、そして、全てここから始まる物語。
みんなみんなが活動し、関わっている訳でそれぞれにそれぞれの物語がある。
今回は私目線で話を進めて行く他なく・・・。
毎月、原点に戻れるところでまた新鮮な気持ちで色々と刺激と認識、吸収、あらゆる角度からの感性、活力を与えてくれる。
宝箱のような存在。
キッチリと観客動員データーを取り出して計算してる分は、2000年の4月から数え2008年4月現在で、延べ5218名のお客様にお越し頂いており(平均63名)、出演組数も(年計算で重複してますが)862組になります。
いつもいつも足をお運び頂いてるお客様ならびに出演して頂いてる、出演して頂いた芸人さんにもこの場をお借りいたしまして、お礼を申し上げます。
今年、11年目に突入するということで若かったタ当時に何を感じ学んだか、進んできたこと。
そして、今後に繋がるヒントとして述べていきたいと思っている訳で、ところどころ思い出せない節や間違った記憶もあるかと思いますが、それは、伝えていただければ訂正していこうと思う。
ゴールではなくスタートであるこの原点。
PVCM映像などで曲を提供して下っている「FIREMONKEY」
代表作が「きらきらひかる」「モリのアサガオ」「MAKOTO」などの郷田マモラさんだ。
「モリのアサガオ」に関しては、今年、映画化されるというので楽しみだ。
その代表作「モリのアサガオ」第3巻の巻末ページで、紹介して貰っている。
※ ぜひ、確認してくださいネ。
また、第5巻の65ページ目に登場人物に「マシンガンズ・平松洋一」が。・・・殺されてます。
これもまた活力になってます。
ありがとうございます。
前置きが長くなってしましましたが・・・振り返ってみる・・・とは、いったものの、どこから書き綴れば良いかを迷うところである。
私が「コメディスタジアム」を知った経緯からお話をしなければならない。
その昔、漫才やコント等で芸人活動していたが、解散して辞めてしまった。
(簡単な履歴を言いますと、2丁目劇場「WachachaJr」、うめだ花月「お笑い虎の穴」を始め、baySideJenny「独立国家BENBENCITY」、玉姫殿「アンダーグランド花月」、NGK「YORUYORU寄席」、広小路小劇場(名古屋)、銀座7丁目劇場オーディション、ラジオとTVもほ~んの、ほんま、ほ~んのちょっとだけ経験させてもらいました。)
あの頃、深夜バイトが続いて心身異常というかバランスがおかしく、感情がオカシかったのを覚えていて、正直、壊れてた。
その感情の起伏の激しさが解散に繋がったのかもしれない。
フリーターを経て健康器具や食品関係の仕事に就く。
ある日、NSC時代の相方から電話が鳴った。
「遊&翔」というコンビで高校時代の友人でもあった。
彼もまた調理師として就職し、働いていた。
「当時のネタを記録したい。録音しておきたい。」と、いうのだ。
この電話がキッカケ。
人生とは面白いもので。
本格的に芸人として戻る訳でなく単なる遊びからの始まり。
個人的な趣味として一時、また、漫才できるのが楽しい。
中途半端に戻ったら、真剣にしている方に失礼。
それも解っていた。
遊びながらも夢中になる。
ネタをテープに吹き込むのでは物足りなく、ビデオで録画もした。
何度か録音や録画を遊びで繰り返しているうちに、舞台へ立ちたくなる思いも自然の流れからか。
当時、情報誌「じゃま~る」というのがあり、お笑いサークルの募集を見つけたのだ。
ほかの仕事をしながらでも、舞台へ立つことが出来る。
そこへ入団し、そこのサークルが『コメディスタジアム』という舞台を見つけて来てくれた。
これまでの舞台経験の話から出演のOKが出、「コメディスタジアム」へ再び客前での舞台へ。
~ つづく
ここから得たものが多く、そして、全てここから始まる物語。
みんなみんなが活動し、関わっている訳でそれぞれにそれぞれの物語がある。
今回は私目線で話を進めて行く他なく・・・。
毎月、原点に戻れるところでまた新鮮な気持ちで色々と刺激と認識、吸収、あらゆる角度からの感性、活力を与えてくれる。
宝箱のような存在。
キッチリと観客動員データーを取り出して計算してる分は、2000年の4月から数え2008年4月現在で、延べ5218名のお客様にお越し頂いており(平均63名)、出演組数も(年計算で重複してますが)862組になります。
いつもいつも足をお運び頂いてるお客様ならびに出演して頂いてる、出演して頂いた芸人さんにもこの場をお借りいたしまして、お礼を申し上げます。
今年、11年目に突入するということで若かったタ当時に何を感じ学んだか、進んできたこと。
そして、今後に繋がるヒントとして述べていきたいと思っている訳で、ところどころ思い出せない節や間違った記憶もあるかと思いますが、それは、伝えていただければ訂正していこうと思う。
ゴールではなくスタートであるこの原点。
PVCM映像などで曲を提供して下っている「FIREMONKEY」
代表作が「きらきらひかる」「モリのアサガオ」「MAKOTO」などの郷田マモラさんだ。
「モリのアサガオ」に関しては、今年、映画化されるというので楽しみだ。
その代表作「モリのアサガオ」第3巻の巻末ページで、紹介して貰っている。
※ ぜひ、確認してくださいネ。
また、第5巻の65ページ目に登場人物に「マシンガンズ・平松洋一」が。・・・殺されてます。
これもまた活力になってます。
ありがとうございます。
前置きが長くなってしましましたが・・・振り返ってみる・・・とは、いったものの、どこから書き綴れば良いかを迷うところである。
私が「コメディスタジアム」を知った経緯からお話をしなければならない。
その昔、漫才やコント等で芸人活動していたが、解散して辞めてしまった。
(簡単な履歴を言いますと、2丁目劇場「WachachaJr」、うめだ花月「お笑い虎の穴」を始め、baySideJenny「独立国家BENBENCITY」、玉姫殿「アンダーグランド花月」、NGK「YORUYORU寄席」、広小路小劇場(名古屋)、銀座7丁目劇場オーディション、ラジオとTVもほ~んの、ほんま、ほ~んのちょっとだけ経験させてもらいました。)
あの頃、深夜バイトが続いて心身異常というかバランスがおかしく、感情がオカシかったのを覚えていて、正直、壊れてた。
その感情の起伏の激しさが解散に繋がったのかもしれない。
フリーターを経て健康器具や食品関係の仕事に就く。
ある日、NSC時代の相方から電話が鳴った。
「遊&翔」というコンビで高校時代の友人でもあった。
彼もまた調理師として就職し、働いていた。
「当時のネタを記録したい。録音しておきたい。」と、いうのだ。
この電話がキッカケ。
人生とは面白いもので。
本格的に芸人として戻る訳でなく単なる遊びからの始まり。
個人的な趣味として一時、また、漫才できるのが楽しい。
中途半端に戻ったら、真剣にしている方に失礼。
それも解っていた。
遊びながらも夢中になる。
ネタをテープに吹き込むのでは物足りなく、ビデオで録画もした。
何度か録音や録画を遊びで繰り返しているうちに、舞台へ立ちたくなる思いも自然の流れからか。
当時、情報誌「じゃま~る」というのがあり、お笑いサークルの募集を見つけたのだ。
ほかの仕事をしながらでも、舞台へ立つことが出来る。
そこへ入団し、そこのサークルが『コメディスタジアム』という舞台を見つけて来てくれた。
これまでの舞台経験の話から出演のOKが出、「コメディスタジアム」へ再び客前での舞台へ。
~ つづく
2008年04月05日
プロローグ
現在、大阪・阿倍野で毎月(場合によっては休演の時もある)行われている、お笑いLIVE「コメディスタジアム」。
いつからあるのか?
これまでどのような方々が関わって来たのか?
数年前にこの『コメスタ★物語』と題して、歴史と言いますか、記録と言いますか書き連ねていたのですが、コメディスタジアムHPのリニューアルと同時に消去され、過去を語らなくなった訳でして・・・。
(コメディスタジアムHPのリニューアル、2004年1月28日)
まぁ、コメディスタジアムのHP「コメスタ資料館」を覗けば、大体は解るのでしょうけど・・・。
昔からよく芸人さんから「コメディスタジアム」について質問を受けたりもする。
昔、『コメスタ★物語』、読んで興味を持っていてもう一度読みたいとのリクエストもあったり、無かったりで。
たまにはこれまでを見つめ直して今後に活かしていくのも悪くは無い。
昔の『コメスタ★物語』では明かさなかった内容も特にいう必要も無いやろ・・・と、思っていた事も書こうかな?なんて、思っていたりするので、もし、芸人さんで、これを読んで、これはちょっと・・・掲載ストップと思ったら連絡してくださいネ。
消去なり※※※なり入れて、ボヤかしますよって。
今年2008年7月19日土曜日公演で90回目を迎える。
その記念と思って、軽く読んで貰えれば、良いかな?
いつからあるのか?
これまでどのような方々が関わって来たのか?
数年前にこの『コメスタ★物語』と題して、歴史と言いますか、記録と言いますか書き連ねていたのですが、コメディスタジアムHPのリニューアルと同時に消去され、過去を語らなくなった訳でして・・・。
(コメディスタジアムHPのリニューアル、2004年1月28日)
まぁ、コメディスタジアムのHP「コメスタ資料館」を覗けば、大体は解るのでしょうけど・・・。
昔からよく芸人さんから「コメディスタジアム」について質問を受けたりもする。
昔、『コメスタ★物語』、読んで興味を持っていてもう一度読みたいとのリクエストもあったり、無かったりで。
たまにはこれまでを見つめ直して今後に活かしていくのも悪くは無い。
昔の『コメスタ★物語』では明かさなかった内容も特にいう必要も無いやろ・・・と、思っていた事も書こうかな?なんて、思っていたりするので、もし、芸人さんで、これを読んで、これはちょっと・・・掲載ストップと思ったら連絡してくださいネ。
消去なり※※※なり入れて、ボヤかしますよって。
今年2008年7月19日土曜日公演で90回目を迎える。
その記念と思って、軽く読んで貰えれば、良いかな?



