2008年09月27日
第二十五話 笑撃!ベタ×2ピカソ(仮) ②
極論、「コメディスタジアム」は、個人的なパフォーマンス、「笑撃!ベタ×2ピカソ(仮)」はチームワークでのパフォーマンスという事でしょうかね?
途中から「マシンガンズ」が、このイベントを引っ張ってきた。
と、いうより彼らのキャラクターがハマって、イベントカラー自体が彼らの方へ寄り添っていったという事だろうか?
2005年7月29日金曜日「マッスルブラザーズ(=マシンガンズ)」が、base入りを果たし、卒業した。
そこでイベントカラーが見失われてしまったのかもしれない。
後のMCを引き継いでもそのカラーを払拭できなかった様に思える。
そして、2006年4月からユメヤ式ヨーチとして「マシンガンズ・平松」のみが戻ってくる。
ちなみにこの彼らはコロコロとユニット名を変えるので、この際、ご紹介しておきましょう。
元々のコンビ名は、「マシンガンズ」
Vol.1 → 「キャラメルマン8号」
Vol.2 → 「トイレットペーパー」
Vol.3 → 「キャラメルマン8号」
Vol.4、Vol.6~Vol.26 → 「チキンライス小町」
Vol.27 → 「ブラックマシンガンズ(CTU)」
Vol.28 → 「マッスルブラザーズ」
ちなみに
初代 MC 2002年12月16日 ~ 2003年 7月16日 アイアンホース
2代目MC 2003年 9月26日 ~ 2003年11月28日 京風ゆばちりめん
3代目MC 2003年12月19日 村本・本田
4代目MC 2004年 1月16日 パラフィンキック
5代目MC 2004年 2月20日 チャオ
6代目MC 2004年 3月19日 ジャイアンソング
7代目MC 2004年 4月 9日 ~ 2005年 7月29日 チキンライス小町(上記ユニット名変更参照)
8代目MC 2005年12月 2日 ~ 2006年 3月24日 アップ・アップ
9代目MC 2006年 4月28日 ~ 2006年10月27日 ユメヤ式ヨーチ (6月16日→チキンライス小町)
最終回MC 2006年12月17日 ~ マシンガンズ
色々やりましたなぁ。
ベタピカソング
ベタピカTシャツ
ベタピカステッカー
2004年8月20日金曜日には「上方てんこもりライブ IN 笑撃!ベタ×2ピカソ(仮)・SP」で、30分凝縮して公演もしましたね。
30分で12組も出て、コーナー2本、ネタもあり・・・。
そのあとファッチャ京橋で「C★マン」もあったんですね。
2006年8月27日金曜日には「上方てんこもりライブ IN コメスタイル」、MCはもう前回の事もあって「マシンガンズ・平松」に頼むのが一番良いと思って任せた。
この回は、ネタのみだったけど、この2イベントが後の2007年2月から始める「カラフル!」の原型・発想となったのも言うまでもない。
30分でひとつのイベント創れて、ダラダラした内容にならない。
観たいイベントだけチョイスして観る事が出来る。
「笑撃!ベタ×2ピカソ(仮)」を終わらせようとしたのは、出演者との考え方のズレとモチベーション。
コーナーを多用したイベントと思われがちであるが、根本は違って、そもそもみんなで一つのまとまった練ったライブやモノを創ろうという処から始まり、メンバーが入れ替わるにつれその部分が薄れて行き、後半の2006年ではチーム戦でネタだけを持ち寄って・・・みたいなイベントとなった。
元々40回目記の特別版でチームバトルをしただけなのだが、ちょっと前からコーナーメインより、ネタメインにしたいとの意見もあり、この流れになったのである。
イベントは芸人さんのモノで、居なかったらステージなんて成立しない。
40回目記念終了時に、「コーナーメイン」か「ネタバトルメイン」どちらのイベントするか多数決が取られ、圧倒的の支持率でネタバトルになった。
「コメディスタジアム」との差別化が図れない似たような感じのイベント。
別に「笑撃!ベタ×2ピカソ(仮)」でなくても良い。
出演者も別にこのイベントで無くても良いと思っている。
ネタが出来ればタイトルなんてどうでもよく舞台さえあれば、それでイイ。
現に打合せにはほとんどのメンバーは顔を出さない。
創り手のモチベーションは下がる一方。
観客動員も減少にある。
終わらせよう。
2006年6月に内心で決め、あとはメンバーの気持ちとモチベーション次第で存続するかどうかを判断しようと決めた。
結果、10月に発表し、12月に最終回をする事にした。
これまでの出演者出来る限り、集める事にした。
どこかで一度は光の当たる場面を創るから。というのを告げて集めた。
結果、出演者も膨大になってしまい、ネタ時間をどういう風に割り振るかを悩んだ。
「コメディスタジアム」と違って結果でネタ時間を決める訳では無く、悩んだ。
そういう事もあって、場代は全て免除とし、すべて負担する事にした。
記録しておきたいと、カメラと三脚、編集機材を新らしくして結局10万円近く全て負担した最終回。
終えてみて、その出費が高いとならず安いと思えた。
この日の為に多くの芸人さんが戻ってきて、そして、復活してくれて大いに盛りあがった。
最後の芸人さんとお客様での一丸となった、大阪締め。
片付けをしていて、それを一緒にできなかったことだけが悔い。
とにもかくにも2002年12月16日金曜日に幕を開け、2006年12月17日日曜日にその人にとっては大きな歴史幕が降りた。
年この最終回が終わってから、去って行く芸人さんが目立った。
活動を休止する者、解散する者、東京へ旅立つ者、嬉しい事にbase入りを果たし活躍の場を広げる者。
「笑撃!ベタ×2ピカソ(仮)」をこれで封印する。
と、宣言しながらも結局、2008年1月に「BETAPICA」として始める訳ですけどね。
基本コンセプトを同じにして。
今回は、中途半端な事をするくらいなら振り切って、トコトンやろう。
と、これ位やったら、ウケるんちゃう?楽しんでもらえるんちゃう?ではなく、もうひとつ前に出ようと。
それが結果的にオカシな方向にいった結果や自己満足にとらえられた事もあるかもしれないけど、中途半端なボケや表現で終えずにもっと振り切って頑張ろうと。
お金かかるから止めよう。ではなしにお金がかかろうが関係ない。やりたい。面白いと思ったら、可能な限りみんなでいかに安くギリギリまで一緒になって表現しようではないか。と。
40点~70点を取るくらいなら、0点か100点を目指そう。
それが、今後に繋がる極意じゃないのかな?
「コメディスタジアム」でも「笑撃!ベタ×2ピカソ(仮)」、「カラフル!」、「BETAPICA」など全てにおいて同じようなイベントをするのではなく、違ったアプローチ方法をしている。
これは、私の考え方であり、漫才でもコントでもみんなと違ったアプローチをしないといけないよ。
と、それだけが言いたいだけで様々のスタイルの違う主宰イベントを持っている。
遠まわしにみんなに言いたい事がこれ。
~ つづく
途中から「マシンガンズ」が、このイベントを引っ張ってきた。
と、いうより彼らのキャラクターがハマって、イベントカラー自体が彼らの方へ寄り添っていったという事だろうか?
2005年7月29日金曜日「マッスルブラザーズ(=マシンガンズ)」が、base入りを果たし、卒業した。
そこでイベントカラーが見失われてしまったのかもしれない。
後のMCを引き継いでもそのカラーを払拭できなかった様に思える。
そして、2006年4月からユメヤ式ヨーチとして「マシンガンズ・平松」のみが戻ってくる。
ちなみにこの彼らはコロコロとユニット名を変えるので、この際、ご紹介しておきましょう。
元々のコンビ名は、「マシンガンズ」
Vol.1 → 「キャラメルマン8号」
Vol.2 → 「トイレットペーパー」
Vol.3 → 「キャラメルマン8号」
Vol.4、Vol.6~Vol.26 → 「チキンライス小町」
Vol.27 → 「ブラックマシンガンズ(CTU)」
Vol.28 → 「マッスルブラザーズ」
ちなみに
初代 MC 2002年12月16日 ~ 2003年 7月16日 アイアンホース
2代目MC 2003年 9月26日 ~ 2003年11月28日 京風ゆばちりめん
3代目MC 2003年12月19日 村本・本田
4代目MC 2004年 1月16日 パラフィンキック
5代目MC 2004年 2月20日 チャオ
6代目MC 2004年 3月19日 ジャイアンソング
7代目MC 2004年 4月 9日 ~ 2005年 7月29日 チキンライス小町(上記ユニット名変更参照)
8代目MC 2005年12月 2日 ~ 2006年 3月24日 アップ・アップ
9代目MC 2006年 4月28日 ~ 2006年10月27日 ユメヤ式ヨーチ (6月16日→チキンライス小町)
最終回MC 2006年12月17日 ~ マシンガンズ
色々やりましたなぁ。
ベタピカソング
ベタピカTシャツ
ベタピカステッカー
2004年8月20日金曜日には「上方てんこもりライブ IN 笑撃!ベタ×2ピカソ(仮)・SP」で、30分凝縮して公演もしましたね。
30分で12組も出て、コーナー2本、ネタもあり・・・。
そのあとファッチャ京橋で「C★マン」もあったんですね。
2006年8月27日金曜日には「上方てんこもりライブ IN コメスタイル」、MCはもう前回の事もあって「マシンガンズ・平松」に頼むのが一番良いと思って任せた。
この回は、ネタのみだったけど、この2イベントが後の2007年2月から始める「カラフル!」の原型・発想となったのも言うまでもない。
30分でひとつのイベント創れて、ダラダラした内容にならない。
観たいイベントだけチョイスして観る事が出来る。
「笑撃!ベタ×2ピカソ(仮)」を終わらせようとしたのは、出演者との考え方のズレとモチベーション。
コーナーを多用したイベントと思われがちであるが、根本は違って、そもそもみんなで一つのまとまった練ったライブやモノを創ろうという処から始まり、メンバーが入れ替わるにつれその部分が薄れて行き、後半の2006年ではチーム戦でネタだけを持ち寄って・・・みたいなイベントとなった。
元々40回目記の特別版でチームバトルをしただけなのだが、ちょっと前からコーナーメインより、ネタメインにしたいとの意見もあり、この流れになったのである。
イベントは芸人さんのモノで、居なかったらステージなんて成立しない。
40回目記念終了時に、「コーナーメイン」か「ネタバトルメイン」どちらのイベントするか多数決が取られ、圧倒的の支持率でネタバトルになった。
「コメディスタジアム」との差別化が図れない似たような感じのイベント。
別に「笑撃!ベタ×2ピカソ(仮)」でなくても良い。
出演者も別にこのイベントで無くても良いと思っている。
ネタが出来ればタイトルなんてどうでもよく舞台さえあれば、それでイイ。
現に打合せにはほとんどのメンバーは顔を出さない。
創り手のモチベーションは下がる一方。
観客動員も減少にある。
終わらせよう。
2006年6月に内心で決め、あとはメンバーの気持ちとモチベーション次第で存続するかどうかを判断しようと決めた。
結果、10月に発表し、12月に最終回をする事にした。
これまでの出演者出来る限り、集める事にした。
どこかで一度は光の当たる場面を創るから。というのを告げて集めた。
結果、出演者も膨大になってしまい、ネタ時間をどういう風に割り振るかを悩んだ。
「コメディスタジアム」と違って結果でネタ時間を決める訳では無く、悩んだ。
そういう事もあって、場代は全て免除とし、すべて負担する事にした。
記録しておきたいと、カメラと三脚、編集機材を新らしくして結局10万円近く全て負担した最終回。
終えてみて、その出費が高いとならず安いと思えた。
この日の為に多くの芸人さんが戻ってきて、そして、復活してくれて大いに盛りあがった。
最後の芸人さんとお客様での一丸となった、大阪締め。
片付けをしていて、それを一緒にできなかったことだけが悔い。
とにもかくにも2002年12月16日金曜日に幕を開け、2006年12月17日日曜日にその人にとっては大きな歴史幕が降りた。
年この最終回が終わってから、去って行く芸人さんが目立った。
活動を休止する者、解散する者、東京へ旅立つ者、嬉しい事にbase入りを果たし活躍の場を広げる者。
「笑撃!ベタ×2ピカソ(仮)」をこれで封印する。
と、宣言しながらも結局、2008年1月に「BETAPICA」として始める訳ですけどね。
基本コンセプトを同じにして。
今回は、中途半端な事をするくらいなら振り切って、トコトンやろう。
と、これ位やったら、ウケるんちゃう?楽しんでもらえるんちゃう?ではなく、もうひとつ前に出ようと。
それが結果的にオカシな方向にいった結果や自己満足にとらえられた事もあるかもしれないけど、中途半端なボケや表現で終えずにもっと振り切って頑張ろうと。
お金かかるから止めよう。ではなしにお金がかかろうが関係ない。やりたい。面白いと思ったら、可能な限りみんなでいかに安くギリギリまで一緒になって表現しようではないか。と。
40点~70点を取るくらいなら、0点か100点を目指そう。
それが、今後に繋がる極意じゃないのかな?
「コメディスタジアム」でも「笑撃!ベタ×2ピカソ(仮)」、「カラフル!」、「BETAPICA」など全てにおいて同じようなイベントをするのではなく、違ったアプローチ方法をしている。
これは、私の考え方であり、漫才でもコントでもみんなと違ったアプローチをしないといけないよ。
と、それだけが言いたいだけで様々のスタイルの違う主宰イベントを持っている。
遠まわしにみんなに言いたい事がこれ。
~ つづく
Posted by ながいまる at 00:01│Comments(0)
│コメスタ★物語
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