2008年04月12日
第一話 コメスタ紀元前 ①
常にめくるめくターニングポイントの上にある、「コメディスタジアム」。
ここから得たものが多く、そして、全てここから始まる物語。
みんなみんなが活動し、関わっている訳でそれぞれにそれぞれの物語がある。
今回は私目線で話を進めて行く他なく・・・。
毎月、原点に戻れるところでまた新鮮な気持ちで色々と刺激と認識、吸収、あらゆる角度からの感性、活力を与えてくれる。
宝箱のような存在。
キッチリと観客動員データーを取り出して計算してる分は、2000年の4月から数え2008年4月現在で、延べ5218名のお客様にお越し頂いており(平均63名)、出演組数も(年計算で重複してますが)862組になります。
いつもいつも足をお運び頂いてるお客様ならびに出演して頂いてる、出演して頂いた芸人さんにもこの場をお借りいたしまして、お礼を申し上げます。
今年、11年目に突入するということで若かったタ当時に何を感じ学んだか、進んできたこと。
そして、今後に繋がるヒントとして述べていきたいと思っている訳で、ところどころ思い出せない節や間違った記憶もあるかと思いますが、それは、伝えていただければ訂正していこうと思う。
ゴールではなくスタートであるこの原点。
PVCM映像などで曲を提供して下っている「FIREMONKEY」
代表作が「きらきらひかる」「モリのアサガオ」「MAKOTO」などの郷田マモラさんだ。
「モリのアサガオ」に関しては、今年、映画化されるというので楽しみだ。
その代表作「モリのアサガオ」第3巻の巻末ページで、紹介して貰っている。
※ ぜひ、確認してくださいネ。
また、第5巻の65ページ目に登場人物に「マシンガンズ・平松洋一」が。・・・殺されてます。
これもまた活力になってます。
ありがとうございます。
前置きが長くなってしましましたが・・・振り返ってみる・・・とは、いったものの、どこから書き綴れば良いかを迷うところである。
私が「コメディスタジアム」を知った経緯からお話をしなければならない。
その昔、漫才やコント等で芸人活動していたが、解散して辞めてしまった。
(簡単な履歴を言いますと、2丁目劇場「WachachaJr」、うめだ花月「お笑い虎の穴」を始め、baySideJenny「独立国家BENBENCITY」、玉姫殿「アンダーグランド花月」、NGK「YORUYORU寄席」、広小路小劇場(名古屋)、銀座7丁目劇場オーディション、ラジオとTVもほ~んの、ほんま、ほ~んのちょっとだけ経験させてもらいました。)
あの頃、深夜バイトが続いて心身異常というかバランスがおかしく、感情がオカシかったのを覚えていて、正直、壊れてた。
その感情の起伏の激しさが解散に繋がったのかもしれない。
フリーターを経て健康器具や食品関係の仕事に就く。
ある日、NSC時代の相方から電話が鳴った。
「遊&翔」というコンビで高校時代の友人でもあった。
彼もまた調理師として就職し、働いていた。
「当時のネタを記録したい。録音しておきたい。」と、いうのだ。
この電話がキッカケ。
人生とは面白いもので。
本格的に芸人として戻る訳でなく単なる遊びからの始まり。
個人的な趣味として一時、また、漫才できるのが楽しい。
中途半端に戻ったら、真剣にしている方に失礼。
それも解っていた。
遊びながらも夢中になる。
ネタをテープに吹き込むのでは物足りなく、ビデオで録画もした。
何度か録音や録画を遊びで繰り返しているうちに、舞台へ立ちたくなる思いも自然の流れからか。
当時、情報誌「じゃま~る」というのがあり、お笑いサークルの募集を見つけたのだ。
ほかの仕事をしながらでも、舞台へ立つことが出来る。
そこへ入団し、そこのサークルが『コメディスタジアム』という舞台を見つけて来てくれた。
これまでの舞台経験の話から出演のOKが出、「コメディスタジアム」へ再び客前での舞台へ。
~ つづく
ここから得たものが多く、そして、全てここから始まる物語。
みんなみんなが活動し、関わっている訳でそれぞれにそれぞれの物語がある。
今回は私目線で話を進めて行く他なく・・・。
毎月、原点に戻れるところでまた新鮮な気持ちで色々と刺激と認識、吸収、あらゆる角度からの感性、活力を与えてくれる。
宝箱のような存在。
キッチリと観客動員データーを取り出して計算してる分は、2000年の4月から数え2008年4月現在で、延べ5218名のお客様にお越し頂いており(平均63名)、出演組数も(年計算で重複してますが)862組になります。
いつもいつも足をお運び頂いてるお客様ならびに出演して頂いてる、出演して頂いた芸人さんにもこの場をお借りいたしまして、お礼を申し上げます。
今年、11年目に突入するということで若かったタ当時に何を感じ学んだか、進んできたこと。
そして、今後に繋がるヒントとして述べていきたいと思っている訳で、ところどころ思い出せない節や間違った記憶もあるかと思いますが、それは、伝えていただければ訂正していこうと思う。
ゴールではなくスタートであるこの原点。
PVCM映像などで曲を提供して下っている「FIREMONKEY」
代表作が「きらきらひかる」「モリのアサガオ」「MAKOTO」などの郷田マモラさんだ。
「モリのアサガオ」に関しては、今年、映画化されるというので楽しみだ。
その代表作「モリのアサガオ」第3巻の巻末ページで、紹介して貰っている。
※ ぜひ、確認してくださいネ。
また、第5巻の65ページ目に登場人物に「マシンガンズ・平松洋一」が。・・・殺されてます。
これもまた活力になってます。
ありがとうございます。
前置きが長くなってしましましたが・・・振り返ってみる・・・とは、いったものの、どこから書き綴れば良いかを迷うところである。
私が「コメディスタジアム」を知った経緯からお話をしなければならない。
その昔、漫才やコント等で芸人活動していたが、解散して辞めてしまった。
(簡単な履歴を言いますと、2丁目劇場「WachachaJr」、うめだ花月「お笑い虎の穴」を始め、baySideJenny「独立国家BENBENCITY」、玉姫殿「アンダーグランド花月」、NGK「YORUYORU寄席」、広小路小劇場(名古屋)、銀座7丁目劇場オーディション、ラジオとTVもほ~んの、ほんま、ほ~んのちょっとだけ経験させてもらいました。)
あの頃、深夜バイトが続いて心身異常というかバランスがおかしく、感情がオカシかったのを覚えていて、正直、壊れてた。
その感情の起伏の激しさが解散に繋がったのかもしれない。
フリーターを経て健康器具や食品関係の仕事に就く。
ある日、NSC時代の相方から電話が鳴った。
「遊&翔」というコンビで高校時代の友人でもあった。
彼もまた調理師として就職し、働いていた。
「当時のネタを記録したい。録音しておきたい。」と、いうのだ。
この電話がキッカケ。
人生とは面白いもので。
本格的に芸人として戻る訳でなく単なる遊びからの始まり。
個人的な趣味として一時、また、漫才できるのが楽しい。
中途半端に戻ったら、真剣にしている方に失礼。
それも解っていた。
遊びながらも夢中になる。
ネタをテープに吹き込むのでは物足りなく、ビデオで録画もした。
何度か録音や録画を遊びで繰り返しているうちに、舞台へ立ちたくなる思いも自然の流れからか。
当時、情報誌「じゃま~る」というのがあり、お笑いサークルの募集を見つけたのだ。
ほかの仕事をしながらでも、舞台へ立つことが出来る。
そこへ入団し、そこのサークルが『コメディスタジアム』という舞台を見つけて来てくれた。
これまでの舞台経験の話から出演のOKが出、「コメディスタジアム」へ再び客前での舞台へ。
~ つづく
Posted by ながいまる at 00:01│Comments(0)
│コメスタ★物語
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